益子町: 日枝神社

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概要・歴史・観光・見所
日枝神社(益子町)概要: 日枝神社は奈良時代の神護景雲2年(768)に勧請されたのが始まりとされます。往古には日枝神社の境内に亀井の水・石井の水・宝来の水・桜井の水・宝井の水・種苗の水・瀧の水と呼ばれた7カ所の井戸があった事から地名である「七井」の由来になったと伝えられています。長久元年(1040)に七井刑部太夫頼治が矢島城を築城した際に現在地に遷座し室神社を合祀、以降、矢島城の鎮守社、矢島郷総鎮守として歴代七井家が庇護したと思われます。

中世以降は山王神社、山王権現、現在は日枝神社と呼ばれている事から、配神として祭られている山王信仰の本社である日吉大社(滋賀県大津市)の祭神と同神の大己貴命が主祭神だったと思われますが、現在は久寿2年(1155)に合祀された太玉神社の祭神だったと思われる天太玉命が主祭神となっています。中世は周辺領主からも信仰の対象になっていたようで、土豪と思われる岩松新六郎綱持(七井家の関係者か家臣とも思われます?)が建保4年(1216)に本殿を再建しています。永禄2年(1559)益子勝宗が矢島城に侵攻し、矢島城は落城、当時の城主七井形部太夫綱代は多田羅館(市貝町多田羅)に逃れ、日枝神社もその兵火により焼失しています。江戸時代に入ると幕府から庇護され、慶安2年(1649)には3代将軍徳川家光により朱印地7石が安堵され、歴代将軍も追認しています。明治時代の神仏分離令を経て村社に列しています。

現在の日神社本殿は享保4年(1719)に氏子から浄財を募り再建されたもので、一間社流造、茅葺、桁行5.5間、梁間3.5m、江戸時代中期の神社本殿建築の遺構として貴重な事から平成4年(1992)に益子町指定文化財に指定されています。拝殿は木造平屋建て、入母屋、鉄板葺き、平入、桁行5間、正面1間向拝付き。祭神:天太玉命。配神:奥津彦命、奥津姫命、大己貴命。

日枝神社:写真

日枝神社
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