芳全寺(真岡市二宮町)概要: 蟠龍山護国院芳全寺は栃木県真岡市久下田に境内を構えている曹洞宗の寺院です。芳全寺の創建は天文14年(1545)、6代下館城主水谷出羽守正村入道が威岩瑞雄大和尚(結城市小塙:乗国寺5世の法嗣)を招いて開山したのが始まりとされます。寺号は正村の法号である「蟠龍斎」と父親である水谷治持の道号「芳全軒」に因み蟠龍山芳全寺と名付けられ、水谷家の菩提寺の1つとして庇護の対象となりました。
水谷蟠龍斎は名将として知られ敵対する宇都宮家領を望める当地に天文14年(1545)に久下田城を築城すると自ら城主となり本城である下館城(茨城県筑西市)には弟である勝俊を配し蟠龍斎の父親、又は養父と思われる治持を弔う為に久下田城の城下に創建したと思われます。慶長3年(1598)、蟠龍斎死去、享年76歳、遺骸は荼毘に付され境内に埋葬、墓碑として宝篋印塔(石塔)が建立されました。江戸時代中期が最盛期となり修行学僧は200名を数え法堂、仏殿、山門など七堂伽藍が整備されました。
芳全寺はその後、文政3年(1820)、天保元年(1830)、更に明治10年(1877)と三度の火災にあい多くの建物や寺宝など焼失しましたが、江戸時代中期の享保年間(1716〜1735年)に再建された山門、総門、弁天堂などの諸堂や銅造阿弥陀如来坐像(寛保2年:1545年、野州佐野金屋町出身の丸山平右衛門藤原政重作、像高288cm、面長100cm、膝張224cm、昭和34年:1959年に栃木県指定重要文化財に指定)、木造地蔵菩薩立像、絹本着色釈迦三尊図などの寺宝が残され貴重な文化遺産となっています。
現在の芳全寺本堂は明治23年(1890)に再建されたもので、木造平屋建て、寄棟、銅板葺、平入、桁行7間、正面1間向拝付、外壁は真壁造、白漆喰仕上げ、腰壁は下見板張、縦押縁押え、内部には本尊となる釈迦牟尼仏像が安置されています。境内には推定樹齢200年の芳全寺のシダレザクラをはじめ水谷蟠龍斉石塔など歴史を感じられる史跡が点在しています。山号:蟠龍山。院号:護国院。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦牟尼仏。
芳全寺の文化財
・ 銅造阿弥陀如来坐像-寛保2年(1742),像高約2.9m-栃木県指定重要文化財
・ 木造地蔵菩薩立像−二宮町指定有形文化財
・ 山門−享保年間(1716〜35),切妻,銅板葺,四脚門−二宮町指定有形文化財
・ 総門−享保年間(1716〜35),切妻,大谷石葺,薬医門−二宮町指定有形文化財
・ 芳全寺のシダレザクラ-推定樹齢200年-市指定天然記念物・栃木の銘木百選
・ 水谷蟠龍斉石塔−二宮町指定有形文化財
・ 金地着色東海道五十三次図六曲屏風一双−二宮町指定有形文化財
・ 紙本淡彩地獄図−二宮町指定有形文化財
・ 絹本着色釈迦三尊図−二宮町指定有形文化財
・ 絹本着色寿老人図−二宮町指定有形文化財
・ 無学祖元墨跡−二宮町指定有形文化財
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