高田山専修寺(真岡市二宮町)概要: 高田山専修寺は栃木県真岡市高田に境内を構えている浄土真宗高田派の寺院です。専修寺の創建は嘉禄元年(1225)真岡城主大内氏の懇願により親鸞が一光三尊仏を安置し堂宇を建立したのが始まりとされます。親鸞はこの地に7年間留まり北関東の布教の中心として地位を固め、嘉禄2年(1226)には後堀川天皇から「専修阿弥陀寺」という勅願寺の綸旨を受けています。
寛正6年(1465)に新たに伊勢に専修寺(三重県津市)を建立し本山としましたが、後柏原天皇より高田専修寺を正統とすべき綸旨を賜り、さらに正親町天皇から女房奉書を賜っています。中世は武装化していたようで、境内の外側には空掘りの跡と思われる遺構が点在し、戦国時代には兵火によって多くの建物が焼失したそうです。その後、一時衰退しましたが江戸時代に堂宇が再建され寺運も隆盛し、現在でも多くの建物が文化財指定され、親鸞縁の寺宝も多数所有しています。
現在の御影堂は寛保3年(1743)に建てられたもので、寄棟、銅板葺(元茅葺)、桁行13間、梁間11間、正面3向拝付、外壁は真壁造り板張り、内部には親鸞上人自刻御影像、真仏上人像、顕智上人像等が安置されています。専修寺御影堂は江戸時代中期の御堂建築の遺構として大変貴重な事から国指定重要文化財に指定されています。如来堂(本堂)は元禄14年(1701)に再建されたもので入母屋、銅板葺、正面千鳥破風、桁行5間半、梁間5間半、正面1間向拝付、内部には善光寺(長野県長野市)から拝領した一光三尊仏(秘仏、17年に1度御開帳)が安置されています。
専修寺山門は元禄年間(1688〜1703年)に造営されたもので、入母屋、桟瓦葺き、一間一戸、四脚楼門、外壁は真壁造り板張り、上層部中心には「高田山」の山号額が掲げられ、高欄が廻っています。専修寺御影堂、如来堂、総門、楼門は江戸時代中期の寺院建築の遺構として大変貴重な事から国指定重要文化財に指定されています。山号:高田山。宗派:浄土真宗高田派。本尊:阿弥陀如来。
専修寺の文化財
・ 専修寺境内及び三谷草庵−国指定史跡
・ 御影堂−寛保3年(1743)-寄棟、銅板葺(元茅葺)-国指定重要文化財
・ 如来堂−元禄14年(1701)−入母屋、銅板葺−国指定重要文化財
・ 総門−江戸時代初期、切妻、茅葺、薬医門−国指定重要文化財
・ 楼門−元禄年間(1688〜1703),入母屋,桟瓦葺,一間一戸-国指定重要文化財
・ 専修寺のケヤキ−推定樹齢600年,樹高16m,幹周5.2m-栃木県指定天然記念物
・ 専修寺のシダレカツラ−推定樹齢100年−栃木県指定天然記念物
・ 銅造観音勢至菩薩立像−鎌倉時代−栃木県指定重要文化財
・ 木造親鸞聖人坐像−鎌倉時代、像高84cm−栃木県指定重要文化財
・ 木造涅槃像−江戸時代−栃木県指定重要文化財
・ 木造真仏上人坐像−鎌倉時代、像高74.6cm−国指定重要文化財
・ 木造顕智上人坐像−鎌倉時代、像高75.6cm−国指定重要文化財
・ 木造阿弥陀如来像−鎌倉時代後期−栃木県指定重要文化財
・ 木造聖徳太子像−14世紀、南無仏−栃木県指定重要文化財
・ 涅槃像−元禄期,約3m,木造金箔,江戸湯島久兵衛作-栃木県指定文化財
・ 御前立(中央:阿弥陀如来像,左脇侍:勢至菩薩像,右脇侍:観世音菩薩像)-県指定
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