生子神社(鹿沼市)概要: 生子神社は栃木県鹿沼市縦山町に鎮座している神社です。生子神社の創建は奈良時代の神亀3年(726)に勧請されたと伝えられる古社で、当初は樅山明神と称していました。天文18年(1549)に氏子の1人の子供が天然痘死去し、境内に身を清め42種の供物を神前に供えて子供の蘇生を祈ったところ三日後に息を吹き返したそうです。
以来、生子神社と改め、安産、育児の守護神として信仰を広め、地元だけでなく県内各地からも参拝に訪れます。生子神社は古くから神仏習合し別当寺院として浄慶院が祭祀を担っていましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が排され、神社として村社に列し、浄慶院は明治8年(1875)に廃寺になっています。江戸時代末期に始まったとされる子供相撲が発展した"生子神社の泣き相撲(毎年9月、東西のまわし姿の力士が子供を抱き上げ3度高く持ち上げ、先に泣いた方が勝ち。泣く子こは育つ=泣く子は勝つ)"が現在でも継承されていて平成2年(1990)に鹿沼市指定無形民俗文化財に指定されています(平成8年:1996年に国選択無形民俗文化財に指定)。
又、生子神社の例祭(毎年1月第3日曜日)である「日の出祭り」の献饌祭は、神社名に由来した子供の蘇生術を再現したものとされ、その後に行われる弓取り式(破魔弓の神事)と共に平成12年(2000)に鹿沼市指定無形民俗文化財に指定されています。生子神社拝殿は木造平屋建、入母屋、桟瓦葺、平入、桁行4間、正面1間向拝付、外壁は真壁造り横板張り。本殿は一間社流造り、外壁は真壁造り板張り朱塗り(正面黒漆塗り)。祭神:瓊々杵神。
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