賀蘇山神社(鹿沼市)概要: 賀蘇山神社は栃木県鹿沼市入粟野に鎮座している神社です。 賀蘇山神社の創建は不詳ですが平安時代に編纂された歴史書である日本三代実録(六国史)によると元慶2年(878年)9月16日に従五位下の神階を朝廷から賜っている事が記載されている事から少なくともこれ以前から勧請されていたと思われます。社殿脇にある大きな切り株は推定樹齢1800年の大杉で往時は樹高70m、幹周14.8mもありましたが明治44年(1911)の落雷と大正6年(1917)の火災により上部が焼失し、切り株を残し伐採されています。背後にある尾鑿山(石裂山・標高:879m)は日光山を開いた勝道上人が開山した霊山で古くから神聖視され山頂付近にある岩屋には賀蘇山神社の本社(奥ノ宮)が鎮座しています。ただし、鹿沼市上久我に鎮座する加蘇山神社も同様な由来を持っていてどちらが本社なのかは不詳とされます。
以来、尾鑿山(石裂山)は神仏混合の修験の山として栄え、奥宮は御神威「黒だるま」、特に家内安全、交通安全、産業・商売繁昌、医薬長寿に御利益がある社として信仰され、山頂は厳しい修行場で女人禁制を強いていた為、麓には遥拝殿が設けられました。賀蘇山神社は歴代領主や為政者から庇護され正応2年(1289)には小野道綱が住民に誘われ当社を参拝し社殿を改修、慶長2年(1597)には結城秀康(徳川家康の次男、当時は結城領11万石の領主)が社殿の再建を行っています。明治時代初頭に発令された神仏分離令と、修験道廃止令により仏式が排され、明治10年(1877)に郷社に列しています。祭神は天御中主神、月讀命、武甕槌命。配祀は大國主命。例大祭は毎年9月23日、関白流獅子舞や太々神楽が奉納されます。
現在の賀蘇山神社遥拝殿は寛永18年(1641)から元禄14年(1701) の60年間の工期末竣工した建物で総ケヤキ造り、三間四方(1辺約5.4m)、宝形造、銅板葺き、正面唐破風一間向拝付、屋根の4隅には獅子と象が守り、外壁に施された竜の彫刻は40頭を数えるなど組物や彫刻に見所が多く、日光東照宮(栃木県日光市)を手掛けた宮大工が棟梁として関わったと言われています。境内にある祈祷殿も特徴ある建物で、山頂の本社まで参拝に来た信者達が宿泊できる宿所を兼ねていたとされ現在でも修験の山として繁栄していた当時の名残が随所に見られます。賀蘇山神社遥拝殿は江戸時代初期の御堂建築の遺構として貴重な事から昭和45年(1970)に鹿沼市(旧粟野町)指定文化財に指定されています。神門(神社山門)は切妻、銅板葺、一間一戸、薬医門。社務所は拝殿と参詣者の宿泊施設が合わさった複合施設で、入母屋、銅板葺、平入、外壁は真壁造白漆喰仕上げ。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-粟野町・粟野町観光協会
・ 現地案内板-粟野町教育委員会
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