掬翠園(鹿沼市)概要: 掬翠園は豪商だった長谷川家が明治末期から大正初期にかけて作庭した日本庭園です。当時は、今宮町の松華園、上材木町の村上晃南荘と並び、鹿沼三名園の1つと称されました(現存するのは掬翠園のみ)。名称の由来は"翠(みどり)"を"掬(くみとる)"といった趣旨で長谷部家と親交のあった中村不折氏(画家、書家)が命名しました。庭園内には深山幽谷の趣きがあり泉池を中心に全国から集められたという奇石、奇岩、石灯篭が配され巨木が外界の騒音を遮っています。慶雲郷の御堂は明和3年(1766)に建てられたもので宝形造、銅板葺、桁行2間、梁間2間、正面1間向拝付、当初は小来川にありましたが長谷川唯一郎氏が朽ちかけているのを惜しみ当地に移築したものです。
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