能仁寺(真岡市)概要: 能仁寺の創建は康永2年(1348)に足利尊氏が開基となり不識妙宥禅師(雲巌寺の開祖仏国国師の高弟)が開山したと伝えられています。伝承によると元応2年(1320)、尊氏の霊夢に観音菩薩の化身が立ち「下野国の霊地に私が埋まっているので、見つけ出し祀ってほしい。」との御告げがあり、早速、掘り出し自らの持仏として篤く帰依したそうです。その後、尊氏はその霊地に滝沢観音堂を創建しその別当として能仁寺を開山、千貫の寺領を寄進するなど庇護した事で寺運も隆盛しました。往時は鎌倉円覚寺派十刹の一つに数えられ下野国では、雲巌寺(大田原市)と並び格式の高い寺院となり、応永26年(1419)には称光天皇から「関東名藍」の扁額を賜っています。天正年間(1573〜1592年)に兵火により堂宇が焼失、さらに慶長14年(1609)にも焼失し一時衰退しましたが元和元年(1615)に一空宗愚が再興し妙心寺派に改めました。江戸時代に入ると3代将軍徳川家光から寺領28石を安堵されるなど庇護され、安永8年(1779)と天明6年(1786)に火災にもあいますが仏殿(釈迦堂)は難を逃れたとされ内部には尊氏木像や位牌が安置されています。明治時代初頭に発令された神仏分離令とその後の廃仏毀釈運動により衰微し、大正時代にようやく再興しています。
能仁寺仏殿(釈迦堂)は室町時代末期に建てられたもので、宝形造、銅板葺、桁行5間、梁間5間、正面開口部は花頭窓、当時の御堂建築の遺構として貴重な事から真岡市指定有形文化財に指定されています。修派:臨済宗妙心寺派。本尊:釈迦如来。
能仁寺の文化財
・ 銅造阿弥陀如来立像−鎌倉時代、像高49.5p−栃木県指定重要文化財
・ 木像釈迦三尊像(釈迦・文殊・普賢)−南北朝時代−栃木県指定重要文化財
・ 銅鐘−亨保3年、総高147.0p、口径77.0p−栃木県指定重要文化財
・ 釈迦堂−室町末期−真岡市指定有形文化財
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