大前神社(真岡市)概要: 大前神社は栃木県真岡市東郷に鎮座してる神社です。 大前神社の創建は不詳ですが延長5年(927)にまとめられた延喜式神名帳に記載されている下野国11社のうち、芳賀2社の1つで大内庄33郷の総社として信仰されてきました。大前神社は古くから神仏混合し別当には貞観4年(862)に慈覚大師円仁が開いたと伝わる大前山金剛院千妙寺があたり薬師如来を本尊として明治時代初頭に神仏分離令を発令するまで続きました。歴代領主にも崇敬され平将門や芳賀氏は社領の寄進や社殿の造営を行っています。戦国時代末期、芳賀氏の主家である宇都宮氏が突然改易(御家騒動説や石高不正説などがある)、芳賀氏も連座し所領没収(芳賀氏は山形県にある出羽三山の出羽神社を頼り離散したそうです)となり、大前神社は庇護者を失い一時衰退します。
江戸時代に入り糸魚川藩(新潟県糸魚川市)から稲葉正成が真岡藩に入ると大前神社は稲葉家の崇敬社となり神饌料として八石七斗三升七合を寄進すると同時に社殿の改修が行われています。寛永9年(1632)に稲葉家が小田原藩に移封し真岡藩が廃藩になると幕府が庇護し、慶安元年(1646)には三代将軍徳川家光から8石の朱印状を受け取っています。明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され、明治6年(1873)に郷社、明治10年(1877)に県社に列し、明治40年(1907)に神饌幣帛料供進社に指定されています。祭神:大己貴命、事代主命。配祀:天照大神。
大前神社の本殿は案内板によると「 この本殿は、桃山時代末期文禄二年(一五九三年)に建てられました。見事な彫刻の数々は、宝永四年(一七〇七年)名工藤田孫平治を棟梁として彫られたものです。このあと、藤田孫平治は、成田山新勝寺の三重塔の彫刻も担当されました。本殿の回りは火防の意味を込めて水神である二十四の龍頭が、陰陽和合の形態で神様をお守りしています。本殿東側壁の上部には、当社ご祭神の使いである鯉にちなみ、「鯉に乗る仙人」「玄武を司る仙人」等、北側には、「香を楽しむ仙人」「薬の仙人」等、西側には、大国様恵比須様にちなみ、「因幡の白兎」「魂を生む仙人」「雅楽を奏する仙人」等々の華麗な彫刻が彫られています。」とあります。
大前神社拝殿は江戸時代中期の元禄元年(1688)に再建されたもので、木造平屋建て、入母屋、銅板葺、平入、正面千鳥破風、桁行3間、張間3間、正面唐破風向拝付き、外壁は真壁造白漆喰仕上げ、向拝には龍や獅子の精緻な彫刻が施され極彩色で彩られています。幣殿は17世紀末頃に造営されたもので、寄棟、銅板葺、桁行2間、梁間1間、外壁は真壁造り板張り。大前神社本殿と拝殿、幣殿は江戸時代中期の社殿建築の遺構として大変貴重な事から昭和52年(1977)に栃木県指定文化財に指定され、平成30年(2018)に国指定重要文化財に指定されています。
大前神社の文化財
・ 大前神社本殿−文禄2年−国指定重要文化財
・ 大前神社拝殿−元禄元年−国指定重要文化財
・ 大前神社幣殿−17世紀末−国指定重要文化財
・ 大前神社両部鳥居-享和2年,高さ6.1m,屋根付-栃木県指定重要文化財
・ 銅燈籠−天明3年、青銅製、総高3.0m−栃木県指定重要文化財
・ 紙本墨書 平家物語(大前神社本・11冊)-天正16年-栃木県指定重要文化財
・ 版本大般若経(586巻)−明徳3年−栃木県指定重要文化財
・ 太刀(無銘)−南北朝時代、長さ89.7p−栃木県指定重要文化財
・ 刀(無銘)−真岡市指定有形文化財
・ 元禄絵図−江戸時代−真岡市指定有形文化財
・ 山内明府功徳之碑−真岡市指定有形文化財
・ 算額(2枚)−真岡市指定有形民俗文化財
・ 永代大大御神楽之碑−真岡市指定有形民俗文化財
・ 大前神社大大神楽−真岡市指定無形民俗文化財
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