真岡市: 海潮寺

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概要・歴史・観光・見所
海潮寺(真岡市)概要: 海潮寺は栃木県真岡市田町に境内を構えている臨済宗の寺院です。海潮寺の創建は永正7年(1510)、久室栄昌大和尚が尽力し天英祥貞(成高寺4世:宇都宮市塙田)が開山したと伝えられています。伝承によると栄昌は九州の住民でしたが霊夢の御告げにより下野国の成高寺住職の天英祥貞に師事し大田和村吹上に草庵を設け宝珠庵と名付けたそうです。その後、大永年代(1521〜1527年)に現在地に境内を移し寺号を宝珠院から海潮寺に改称しています。創建以来、当地域を支配していた芳賀氏代々の菩提寺として庇護されていましが、慶長2年(1597)、主家である宇都宮城の城主宇都宮氏が突然改易(御家騒動説や石高不正説などがある。)、芳賀氏も連座し所領没収となりました(芳賀氏は山形県にある出羽三山の出羽神社を頼り離散したそうです。)。海潮寺は庇護者を失い一時衰退しますが、江戸時代に入ると幕府から庇護され慶安元年(1646)三代将軍徳川家光から20石の朱印状を受け取り、寛文11年(1671)には真岡藩主稲葉正則も寺領4石を安堵しています。真岡藩が廃藩になると真岡代官が庇護し境内には名代官と云われた竹垣直温の徳政碑が建立されています。

海潮寺境内正面にある山門は文化3年(1806)に建立されたもので三間三戸、八脚楼門、入母屋、大谷石瓦葺、桁行6.59m、梁間3.86m、2重垂木、二手先組、高欄、花頭窓、木鼻には獅子、漠の彫刻が施され、特に大谷石の瓦で葺かれた屋根は類例が少なく貴重な存在として昭和48年(1973)に栃木県指定重要文化財に指定されています。海潮寺本堂は木造平屋建て、入母屋、銅瓦棒葺き、平入、桁行7間、正面1間軒向拝付き、外壁は真壁造白漆喰仕上げ、内部には本尊となる十一面観音菩薩像が安置されています。

又、海潮寺山門前の施無畏橋は「蛇姫伝説」の舞台でもあります。伝説によると近くに住んでいた町娘「おます」と施無畏橋の畔の神力渕の主である白蛇が恋仲となり、それに反対した母親が「おます」に命じて白蛇を刺し殺させました。「おます」は既に妊娠していましたがショックの余り流産し、「おます」も命を絶ちました。両親は哀れと思い海潮寺に墓を建て供養すると白蛇に似た蔓がとぐろを巻くように墓に絡みついたので、両親は気味悪がりその蔓を切り裂きました。その蔓が白蛇の化身かは分かりませんが、その後両親が原因不明で急死し、住民達は白蛇の祟りとして語り継がれました。宗派:臨済宗。本尊:十一面観音菩薩。

海潮寺の文化財
・ 海潮寺山門(楼門)−文化3年−栃木県指定重要文化財
・ 芳賀禅可入道高名像-室町,縦61.5p,横34.5p-栃木県指定重要文化財
・ 海潮寺文書−室町時代(芳賀氏関係が多い)−栃木県指定重要文化財
・ 海潮寺御霊屋−文化年間(1804〜1818)−真岡市指定有形文化財
・ 竹垣君徳政碑-真岡代官竹垣直温の徳を讃えた石碑-真岡市指定文化財

海潮寺:写真

海潮寺の境内前の施無畏橋から見た山門(楼門)
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海潮寺山門から見た境内 海潮寺 海潮寺 海潮寺


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