長蓮寺(真岡市)概要: 大際山華蔵院長蓮寺は栃木県真岡市荒町に境内を構えている時宗の寺院です。 長蓮寺の創建は鎌倉時代後期の永仁5年(1297)に遊行二祖他阿上人真教が念仏修行の道場として阿弥陀如来を安置して開山したのが始まりと伝わっています。貞和3年(1347)、芳賀高貞により真岡城の鬼門(北東方向)にあたる現在地へ移され、以後、芳賀氏の庇護下この地方唯一の一向宗寺院として信仰を集めました。一向宗の信仰が広がるとその教えに帰依した尊観法親王(南北朝時代の時宗の僧、後醍醐天皇の従兄弟)が出家し、当寺の住職として赴任しています。戦国時代末期、芳賀氏の主家である宇都宮氏は突然改易(御家騒動説や石高不正説などがある。)になると芳賀氏も連座し所領没収となりました。
長蓮寺は庇護者を失い一時衰退しますが、江戸時代に入ると当時の真岡藩主稲葉正成が一遍上人と同じ伊予の河野氏出身だった事から篤く庇護され、 真岡藩廃藩後も幕府の保護となり三代将軍徳川家光から20石の朱印状を賜っています(稲葉正成は家光の乳母である春日の局の夫だった事から庇護したとも)。境内にある長蓮寺弁財天は寛文7年(1667)から元禄13年(1700)にかけて江戸の民衆による浄財で建立したもので、天河大弁財天社(奈良県吉野郡天川村)、江島神社(神奈川県藤沢市)、竹生島宝厳寺(滋賀県長浜市)の弁財天を模して製作したと伝えられています。
当初は浅草寺の下院である宝珠院に安置され元禄15年(1702)の赤穂事件では四十七士も念願成就の祈願をしたとの噂があがるなど広く信仰されましたが宝暦15年(1762)に長蓮寺に移されました。弁財天の高さは3.45mで半跏像弁財天としては日本一の大きさを誇るとされ、脇侍には毘沙門天と大黒天、従者には十五童子が配されている大変貴重なものとして昭和63年(1988)に真岡市指定有形文化財に指定されています。
長蓮寺総門は切妻、銅板葺き、一間一戸、四脚門。山門は切妻、銅板葺き、一間一戸、四脚門。本堂は木造平屋建て、寄棟、桟瓦葺き、平入、桁行5間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造白漆喰仕上げ。弁天堂は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、平入、桁行2間、正面1間唐破風向拝付き、背後の太鼓楼は印象的で象徴的な存在感があります。山号:大際山。院号:華蔵院。宗派:時宗。本尊:阿弥陀如来。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-真岡市
・ 現地案内板(長蓮寺の弁財天)
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