鹿沼市(歴史)概要: 鹿沼市にある大剣ヶ峰(横根山)は勝道上人の修業地として知られ、その後上人は日光山を開山しています。鹿沼市には賀蘇山神社や加蘇山神社、瑞峯寺、医王寺など上人縁の社寺も多く古くから山岳信仰の盛んな地域でした。中世に入ると鹿沼市は鹿沼氏の勢力下へ入り支配しますが戦国時代に入ると宇都宮氏と対立、大永3年(1523)に川原田合戦があり居城である鹿沼城は落城、鹿沼氏は滅び、その後は鹿沼城には宇都宮氏の重臣壬生氏が入ります。戦国時代末期、壬生氏は北条氏に従属した為、豊臣秀吉による小田原の陣で主家と運命を共にし鹿沼城も落城します。
江戸時代に入り徳川家康を祀る日光東照宮が造営されると例幣使街道が開かれ鹿沼市市街地は鹿沼宿として大きく発展していきます。宿場には多くの物資が集積や人物の往来も進み幕末には家数800件を超える程に町として成長し今日に見られる鹿沼市の基礎となりました。
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