那珂川町(歴史)概要: 那珂川町の歴史は古く駒形大塚古墳や那須八幡塚古墳など比較的早くから古墳文化が入り込み、平安時代には那須官衙が築かれ那須国の政治の中心を成していました。鷲子山上神社や健武山神社などの延喜式式内社も点在し、特に健武山神社境内では優良な砂金を産出し、東大寺大仏鋳造に使用されたと記録に残っています。中世になると宇都宮氏の一族である武茂氏が武茂城を拠点として那珂川町周辺を支配し、菩提寺である乾徳寺の創建や鷲子山上神社、健武山神社など社殿造営、改修を行い多くの足跡を残します。
戦国時代後期になると武茂氏から宇都宮氏へ養子に出すなど複雑な経緯を辿り、守綱の代で佐竹氏に従属するようになり、豊綱の代の文禄3年(1594)に太閤検地で那須氏内応の噂が流れ常陸の久慈郡大賀村に知行替えになりました(関が原の合戦で佐竹氏は中立を保った為、秋田へ移封となり武茂氏も従います。)。江戸時代に入ると那珂川町周辺は天領となり、慶長14年(1609)からは水戸藩に属し明治維新まで続きます。
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