足利陣屋概要: 案内板によると「 足利戸田家は、宝永2年(1705)に足利に領地を拝し、明治維新まで160年余にわたり当地を支配した。石高1万1千石余の譜代大名で家臣は江戸時代末期には166名であった。足利戸田家では城は築かず、陣屋と呼ばれる建物が現在の雪輪町一帯に置かれていた。足利戸田家の馬印は"雪輪"であり、その御陣屋があったことが町名の起源と伝えられている。 足利市教育委員会 足利市民文化財団 」とあります。
足利藩の初代藩主は戸田忠利ですが、実際陣屋を築いたのは宝暦8年(1758)、4代藩主戸田忠言で陣屋内には御殿、厩、稲荷などが設けられました。明治4年(1871)の廃藩置県により陣屋が廃され、多くの建物が破却、払い下げとなり残った建物も明治期の火災で焼失しました。その後都市計画による宅地化で敷地も細分化され雰囲気すら感じられなくなりました。遺構としては藩主が利用したと伝わる井戸と、陣屋の鎮守社だった家富稲荷神社が残り、移築した陣屋大門(入母屋、桟瓦葺、長屋門形式、桁行4間、梁間2間)が近くの民家の表門になっています。
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