塩谷惟頼

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塩谷惟頼(木幡神社)
【 概 略 】−塩谷惟頼は生没年不詳ですが源姓塩谷氏(堀江氏)の二代目当主塩谷惟純の子供とされます。栃木県塩谷町に境内を構えている瑠璃堂の由緒によると嘉応元年(1169)4月8日源(塩谷)惟頼の時代に創建した旨が伝えられている事から、これを信じれば当時に家督を継ぎ3代目当主になっていた事になります。惟頼は平家打倒に旗揚げした源頼朝に従い、寿永2年(1183)に山城国宇治郷(京都府宇治市木幡東中)近くまで従軍した際、許波多神社に戦勝祈願を行いました。その後、見事念願成就し多くの戦功を重ねる事が出来た事から、神意に感謝し文治2年(1186)に自領に帰国する際、許波多神社の祭神である木幡大明神の分霊を勧請し、木幡神社(栃木県矢板市)を創建すると領地である塩谷郡の総鎮守として篤く庇護したそうです(木幡神社は坂上田村麻呂が創建したとの伝説も残されています)。

伯耆禰神社(栃木県さくら市喜連川)に伝わる伝承によると治承2年(1178)に鹽谷伯耆守源惟ョが死去し、治承年間(1177〜1181年)又は文治年間(1185〜1190年)に伯耆禰神社が創建し別当寺院として鹽谷山建立寺が開かれたと伝えられています。伯耆禰神社と鹽谷山建立寺は塩谷氏の一族である喜連川氏から篤く庇護され、喜連川氏の家系図でも惟頼は治承2年(1178)に死去し塩谷少将を名乗った事になっています。居城は堀江山城説が有力で(「川崎城跡・御前原城跡発掘調査報告書」によると塩谷惟頼は矢板城を居城として利用したとの伝承を紹介しています)、菩提寺は寺山観音寺か六房寺とも云われています。

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